ゆんこらぼ

千屋ゆう子の日々をゆるゆる研究するエッセイブログ

この世で一番怖いもの

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⚠️ちょっと気持ちの悪い話かもしれません。読む際はご注意願います。

 

 

 

毎年、夏が来ることに恐怖を覚える。

気温が上がり、暑くなってくると、虫が湧いて出て来るからだ。

 

私は小学校低学年くらいまでは虫に関して何の抵抗も無かった。

 

だがある夏の日、学校の校舎裏で同級生達と遊んでいる時だ。一人の男子が「セミを捕まえて来た」と言って何故か私に向けてそれを放ち、その蝉は恐ろしい程のスピードの羽ばたきで私の顔に突撃して来たのだ。

 

もう少しで口の中に入ってしまうところだった。

 

私は泣いた。あまりの恐怖に。

 

それ以来、私は虫が大嫌いになってしまった。

 

 

20歳くらいまで住んでいた二階建ての一軒家も、夏になると巨大なカマドウマがわんさか湧く。何だ『カマドウマ』って。バッタ目・カマドウマ科に分類される昆虫の一種らしく、俗称として『便所コオロギ』『オカマコオロギ』などと呼ばれることもあるそうだが、実にキモい。デカさも拳大くらいはある。

 

そんなんが風呂に行けば現れ、キッチンに行けば壁に留まっており、玄関では跳ね、私の行く先々で私を殺しにかかってくるので、引っ越すとなった時はどれ程嬉しかったことか・・・。

 

だが引っ越し先の借家もなかなか侮れなかった。

夏が来ると、決まってムカデが出るのだ。

 

あの虫はヤバい。

見た目もさることながら、噛まれたら最後。

腫れて、激痛が走り、頭痛、発熱、めまい、吐き気などの症状があらわれる。

 

もう恐ろし過ぎて発狂しそうだ。

 

この後にまた引っ越すのだが、その家もマジでヤバい。

語彙力というものも吹っ飛ぶくらいのヤバさだ。

 

先ず、夏はムカデとゴキブリが当前のように大量に出る。

そして色々な種類の蜂、蛾、大量のナメクジ・・・。

 

そんな家にもう12年も住んでいる。

毎年の夏は虫達との激闘である。

 

いい加減引っ越したい。

 

私はアリや蝶々、テントウムシなんかもダメだ。「可愛い」「綺麗」なんて、微塵も思わない。何なら犬や猫につくノミ、ダニもダメだ。

 

ここまで虫恐怖症を拗らせると、周りにも迷惑がかかることに気づいた。

 

虫が出ると大騒ぎする私の為に、どんな状況であろうと周りはその虫退治に専念しなければならなくなる。

 

だが私も自分の身を守らなくてはならない為、周りの迷惑などその時だけはどうでもよくなってしまう。

 

それどころではないのだ。

 

昨年の夏も実に大変だった。

昼寝している時、ガサガサと物音がし、ふと目を開けて真上を見ると、部屋の蛍光灯の傘の中にデカい何かが居る。

 

私は心臓が止まりそうなくらい驚き、即座に起きて目を凝らしてそれを見た。

 

巨大なムカデだ。

 

死んだ・・・その時私は死んだのだ・・・。

 

家には誰も居ない。ムカデがいつ傘から出て来るか判らない。

 

ムカデは物凄いスピードでグルグル傘の中を回っている。

 

さてどうしようか・・・・・

 

その時咄嗟に思いついたのが、虫について詳しい男友達Yの顔だ。しかもYはうちのめっちゃ近くに住んでいる。

 

私はがむしゃらにYに電話し、何とか助けに来てくれる了承を得た。

 

そして、うちに来るついでに殺虫剤も買って来るよう指示した。

 

Yが来るまでの間、私はそわそわせざるを得なかった。相変わらずムカデは傘の中でグルグル回っている。

 

20分程でYが来たが、その20分は「長い1日だった」と言っても過言ではない程長く感じた。安心感も半端ない。

 

そしてYは傘を見るなり、「空のペットボトルある?」と聞いてきた。

 

何に使うのかと聞くと、ムカデをペットボトルの中に閉じ込めて観察したいと言うのだ。

 

Yをぶん殴りたい気持ちを堪え、「それはダメ」とひと蹴りしてやった。

 

Yは残念そうな顔をした後、「とりあえず傘外そうか?」と提案する。

 

「でも外したらムカデ出て来ちゃうよ!?」

 

私は叫ぶが、Yはもう外す気満々。

 

脚立を持って来て、広げ、傘をそっと外す。

 

私は恐ろし過ぎて廊下で待機。

 

するとYは言う。「ああ何だ、傘、ねずみ返しになってるじゃん」

 

つまり、ムカデは一生傘からは出れない、ということだ。

 

ホッとしたのも束の間。

Yは買って来た殺虫剤をムカデに噴射。

 

すぐにムカデは縮まってお亡くなりになられた。

 

 

Yが居なかったら私は今頃どうしていただろう。

考えるだけでも恐ろしい。

 

その後もちょくちょく小さなムカデが現れたりして、殺虫剤をこれでもかという程浴びせて駆逐。

 

もういい加減にしてほしい。

 

地震でも、雷でも、火事でも、オヤジでもない。この世で虫が一番怖い。

オーブンレンジが無いとこんなにも困る

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今住んでいる家はとても古い。多分2Kという間取りだと思われるのだが、トイレは和式だし、部屋の壁は崩れている所があるし、まあ狭い。“キッチン”と言うよりは、“台所”と呼んだ方が相応しい料理場も狭過ぎて、なかなか料理するのが難しいといった家だ。

 

私は最近、仕事の息抜きに料理とお菓子作りのレシピ動画をYouTubeで観るのにハマっている。もう何個観たか数え切れない程観た。私も作ってみたい、そんな想いが溢れる日々。

 

ガレット・デ・ロワ、絞り出しクッキー、ベイクドチーズケーキ、、、

作りたいお菓子はたくさんある。

 

料理だって、グラタンとかパルミジャーナとか作ってみたい。

 

だが恐ろしことに、うちにはオーブンレンジが無いのだ。

 

こんなにも作りたいという想いがあるのに、あの赤外線でケーキやパンなどを焼ける利便性の高い箱が無いなんて、きっと天罰が下るに違いない。これは一刻も早く購入に至らなければならない。

 

購入に至るには、先ず引っ越しからだ。今の家から脱却しなければ、何がどうあってもオーブンレンジは手に入らない。何故ならば、台所が狭過ぎて置き場が無いからだ。

 

「先ずは引っ越し」と言ったが、そうなるとそれは“先ず”ではない。引っ越しするには貯金をしなければいけない。賃貸が良いから、かかって大体50万くらいはないと、理想の家には住めない。だが「先ずは貯金」でもない。貯金は収入に余力がないと出来ないことだ。なら「先ずは働いて稼ぐ」からか?いや違う。「先ずは働く為に体調管理を上手にする」からだ。

 

これじゃあいつになったら引っ越しまで辿り着けるのか、途方に暮れてしまう。

 

もうそろそろでバレンタインデーだ。チョコレートブラウニーとかチョコマフィンとか、オーブンレンジさえあれば作れるのにっ・・・!!

 

家を破壊しそうである。

 

夏なんかは特に友人らの誕生日が固まっているので、オーブンレンジさえあればケーキやご馳走を作ってあげられるのにっ・・・!!

 

(天からお金降って来ないかな・・・)

 

オーブンレンジが無いと、ここまで心を苦しめられるものなのか??だんだんオーブンレンジが憎らしくなってきた。

 

「オーブンレンジが無くても作れるお菓子作ればいいじゃん」という声が聞こえてきそうだが、それはNGである。お菓子作りに精通していない人から見れば、大体の人はそう言うのかもしれない。だが、私には変な拘りがあって、例えば“キッチン”と呼べる綺麗で広い場所で作りたい、とか、例えばSNSにあげる料理の写真は綺麗に撮りたいとか(ワガママか!)。

 

だから、そういう綺麗な環境でないと『作る』という所までのプロセスは成り立たない。つまり、『作る』以前の問題なのだ。

 

それにもう一つ。

ノーベイクのお菓子は大体種類が決まっていて、レアチーズケーキなんかが代表格ではないだろうか。レアチーズケーキは焼かなくても簡単に作れるお菓子だ。私も今まで幾度となく作って来た。だがそういうことじゃない。殆どのお菓子はオーブンレンジで焼く。たった数種類しかないノーベイクのお菓子にはあまり惹かれないのだ。

 

こうなると、もう手立てが今は無いに等しい。

 

きっと、器用な人はどんなに汚れた台所でも美味しい料理を作るのだろう。そんな技量は持ち合わせていない私氏なので、オーブンレンジ購入は夢のまた夢である。

変わり果てた吉祥寺PARCO

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'98〜'04辺りの原宿系ファッションセンスが大好きだった若き頃。

 

もちろん、今でも好きだ。

 

あの頃は、原宿系ファッション雑誌『KERA』(現在はWEB雑誌になっている)を毎号買って、読者モデルに憧れ、参考にし、まるで『KERA』から飛び出して来たかのような出で立ちで、気持ち良く外を闊歩していた。

 

本当に気持ちが良かった。擦れ違う人々の目が、、まあ「何だあいつキモ」だったが、それは「あの人格好良い!!」に都合良く脳内で変換されるのだ。

 

耳のピアスホールは7個、口ピアス、手の全指にシルバーリング、ウルフカット、黒系のパンクロックな服、厚底靴、、、

 

まるでイカツイパンク男みたいな格好をしていたが、当時の私にとってはそれがデフォルトだった為、自分自身何も気にする所は無かった。

 

そして先日。

十数年ぶりに吉祥寺散策に行くことになり、私のワクワクは止まらなかった。

 

特に吉祥寺PARCOに行くのが物凄く楽しみで、(きっと'98〜'04辺りの原宿系ファッションみたいなグッズがたくさんあるんだろうな〜)と期待を胸に電車に乗った。

 

だがそんな淡い期待は一気に弾け飛んだ。

 

中に入るなり、(あれ??)と違和感を感じた。

 

十数年前の、あのパンクロックな吉祥寺PARCOじゃない!?

 

さすが時代。流れに流れ、どの階も'18の流行ファッションに綺麗に包まれている。

あの頃の面影などまるで無い。

 

(嘘でしょ・・・嘘だと言って!!ねぇ!!!)

 

私は愕然とし、呆然と立ち尽くすしかなかった。

もう何か膝の骨が砕けて崩れ落ちそうな感覚。

心臓はPARCOをも巻き込んで爆発しそうな勢いでドックンドックン鳴った。

 

そりゃそうだ、時代はいつだって流れて行く。

ファッションの流行り廃りだって、ぐるぐる回っているとは言えどんどん進化もする。

 

この時の私の脳内はきっと、思考回路だけがタイムスリップしてショート気味だったのかもしれない。

 

こんな筈じゃなかった・・・

PARCOはこれじゃ、こんなんじゃダメだよ・・・

もう大号泣だ。

私の涙と鼻水の大洪水で吉祥寺は沈没。

 

 

私はファッションに関しては流行ものが好きではないので、この結果は本当に無念だったが、自分のファッションスタイルを曲げたくはないので、今後は原宿にでも行こう(現在の原宿も、どんどん変わって行っている為無駄足になるかもしれないが)。

 

とにかく「残念」その言葉に尽きる。

肉まんとミルクティーと週刊少年ジャンプ

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中学1年生の頃、私の将来の夢は漫画家になることだった。

 

学校でも休み時間などによく一人で絵を描いたりしていた。

 

ある日、同級生のRちゃんと遊んでいた時、Rちゃんがこう訊いた。

 

「ゆう子ちゃんて絵上手いよね。もしかして漫画家志望だったりする?」

 

私は素直にそうだと答えた。

 

「よかったら一緒に漫画描かない?」

 

思いもよらぬお誘いだったが、一人より二人の方が何かと心強いと思ったので、二つ返事で引き受けた。

 

実はRちゃんも漫画家志望だったのだ。私達はすぐに意気投合し、その日から毎日、お互いの家を行き来しながら漫画のことを話し合った。

 

Rちゃんはとても絵が上手い。そして私と同じで週刊少年ジャンプの漫画家になることを夢見る子だった。

 

冬の晴れた日、私とRちゃんはRちゃんちで漫画を描いていた。

 

「お腹空いたね」

 

描きかけの漫画を部屋に残し、私達は近くのセブンイレブンに向かった。

 

何を買おうか迷っていると、目に飛び込んだ肉まんがとても温かそうで、私は適当に手にしたリプトンのミルクティーと肉まん二個にお金を払った。

 

部屋に戻り、私は購入したミルクティーを飲みながらホカホカの肉まんを頬張った。

 

「!?」

 

あれ?何これ、意外と合う・・・。この時、ミルクティーと肉まんの相性が物凄く良いことを知った私。まさかこの後自分の身に大変なことが起こることを、この時の私は知る由もなかった。

 

 

漫画の製作が滞っていたある日、私はRちゃんちでまたミルクティーと肉まんを食べていた。何故かミルクティーが自尊心を満たしてくれるような気がして、肉まんは腹を満たしてくれた。

 

だんだん漫画を描くことよりもミルクティーと肉まんを食べることの方に意識が移って行っていた。Rちゃんちに行かない日も私はそれを食べ、飲んだ。

 

(あれ?何か顔が大きい・・・?)

 

鏡で見ると、ただでさえ大きい顔がいつもより大きく見える。

 

私は悟った。

太ったのだと・・・。

 

 

だが私の過食は止まる事を知らなかった。

 

ぶくぶく肥えて行き、

遂には体重80kg・・・。

 

これはマズい。

マズいが肉まんとミルクティーを食べたい。

 

もう食のモンスターと化してしまった私氏。

豚のオバケか??

 

その一方で、漫画製作は進まない。

腑抜けの私を見て、Rちゃんもだんだんやる気を失くしていった。

 

それでも私は食べた。

もう昔のスレンダーな私は見る影もない。

肉まんとミルクティーの魔力は余程強力のようだ。

(ただ単に私の意思が弱いだけ)

 

 

────数年後。

 

私はまたスレンダー体型に戻っていた。

 

ラソンの得意な母の友人が私を見兼ねてダイエットに協力してくれたおかげだった。

 

だが私は、あの肉まんとミルクティーの味を忘れた訳ではない。

 

そして、食べることの幸福さが身についてしまった為、現在でもドカ食いは当たり前に行われていて、体型もヤバみ感じる。

 

皆さんは食べることは好きだろうか?

食欲は三大欲求の一つであり、なくてはならないものだ。

 

だが、覚えておいてほしい。

『何事も程々に』

そして、、、

『根気は大事』

結局根気が無かったせいで漫画はお蔵入りしたのだ。

私のようなダメ人間になる前に、一度自分の根気度を見直してみては如何だろうか。

深い眠りについた狂人

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これは私が狂人だった頃の話である。

 

 

私はネット上でも自分が統合失調症患者だということを大っぴらにしている。

 

統合失調症というのはとても厄介な病気で、病名の通り『二つ以上のものを合併して一つにまとめること』が出来なくなる精神疾患のことだ。症状は人それぞれで、被害妄想にとりつかれたり、幻覚・幻聴に襲われたり、集中力や根気が失くなったり、睡眠障害も出れば酷い不安に苛まれることもある。

 

私が統合失調症を発症したのは中学二年生の時だ。

その頃はまだ狂人的な行動は然程無かった。

 

私は時が経つにつれてだんだんと狂人化して行った。

 

凄くイライラしている時に自宅のキッチンで食器棚を見たら、もうお皿を壁に投げつける以外にイライラの発散方法が思いつかず、無我夢中でお皿を何十枚も投げ割ったことがあった。そろそろ疲れてきたという所でやめたが、全くスッキリしなかった。

 

両親は私の奇行への慣れからか、呆れた顔するだけで止めはしなかった。その一瞬(オイ止めろよ)と真剣に思ってしまった狂人は私だ。慣れというものは本当に怖い(お前の奇行が一番怖いよ)。

 

急に物を投げたり壁に穴を開けたりすることもあったが、そのことで借家の大家さんへの借金も大変なものだった。私には支払い能力が無かったので、親はどれだけ困っただろうか。

 

ある時は、夜、裸足で外へ飛び出して、走ってどこかへ行ってしまうという奇行も幾度となくした。いわゆる構ってちゃんだろう。構ってほしい故におかしな行動を取るのだ。最初は外へ飛び出すと心配して探し回ってくれたが、だんだんと慣れていき、私が裸足でどこかへ行ってしまっても完無視されるという事態に陥り、飛び出した先で虚しくなってトボトボ帰る自分がめちゃくちゃアホだった。

 

長髪のカツラにハマった記憶もある。よくコスプレイヤーが被っているピンクとかブルーの可愛かったり格好良かったりするウィッグとはちょっと質が違う、“ウィッグ”なんて洒落た呼び名ではなく、“カツラ”と言った方がしっくりくる物で、「欲しい欲しい」と泣き喚いて買ってもらったそのカツラを何故か斜めに被って外を歩いていた奇行。私自身はそれを『可愛いゆう子ちゃん』と思って使っていた。完全に頭がおかしい。

 

とにかく私のファッションセンスはヤバかった。時にはインド人になりたくて頭にターバンを巻いてインド製の民族衣装を着ていたし、時にはオバサンの進化版みたいなパンチパーマをかけたこともあった。

 

歳を重ねる毎に、そういった奇行は目立たなくなってはきた。今現在は病状がだいぶ良くなってきていて、落ち着き過ぎているくらい落ち着いていて、ファッションに関しても至って普通。むしろ本当の意味でのお洒落さんに変貌を遂げた感じである。

 

時々、街や電車内などで狂人を見かけるが、昔は自分もあんな感じだったのかと思うと身の毛がよだつ。

 

私の中の狂人は、もう深い深い眠りについたのかもしれない。

どうあってもHISASHIにはなれなかった話

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私にはロックバンドGLAYのギタリストHISASHIになりたかった頃があった。

 

あれは約20年前、私が中学生の時のことだ。

セブンイレブンの雑誌コーナーに乱雑に置かれた、JUNONという女性向け月刊芸能雑誌がふと目に留まり、私はそれを手に取った。

 

そんな雑誌に興味など無かった私だが、何故かその時体が勝手に動いた。

 

パラパラとページを捲ると、GLAYというロックバンドの特集が組まれているページが出て来た。その時、戦慄とも言える衝撃が走った。

 

初めて知ったそのロックバンドの青髪の青年が、あまりにも美しく、高貴で崇高なお姿をしておられていた故、私は思わず(いや、思いまくっていたが)JUNONをレジに持って行っていた。

 

その後、私は何度もJUNONGLAY特集を読み返した。何度見ても、HISASHIという男が魅力的で、私は遂に決断を下す。

 

そうだ、HISASHIになろう。

 

そうだ 京都、行こう。」みたいなノリで、影響を受けやす過ぎる私は中学二年生の秋、HISASHIになることを決意したのだった。

 

 

先ずは髪型から入ろう、と思い、美容院で美容師さんに雑誌に載っているHISASHIの写真を見せた。

 

HISASHIの髪は、当時は青く、ショートボブみたいな感じ。

 

さすがに中学生が青い髪をしていてはマズいので、真っ黒ショートボブにしてもらった。

 

が、あまり似合っていない。

 

だがそんなこと、当時の私は思いもせず、HISASHIに一歩近づけた感動で泣きそうになった。

 

次に私が取った行動は、エレキギターを買う、だ。

 

お金が無かったので、両親にねだった。

でも両親は「そんな物買うお金はありません!」とひと蹴り。

 

でも我の強い私は絶対に引き退らない。

 

あの歳で泣き落としにかかってみたり、とんでもなくしつこくねだってみたりと様々な手法でやっとこさ両親を根負けさせた(情けねぇなぁ・・・)。

 

数日後、自宅に真っ黒なエレキギターが届いた。

 

HISASHIと同じギターはさすがに高過ぎて買えないので、そこは妥協。

 

テンションはMAX!!

早速その日から練習を開始した。

 

そんなある日、HISASHI本人が書いたコラム本が発売するとの情報が入った。

 

私はもう居ても立っても居られなくなり、本屋へ自転車を走らせ、その本の予約を完遂した。

 

発売日当日、また自転車のタイヤを高速回転させ、コラム本をゲット。

 

帰ってからすぐに熟読。

 

(わあああああ!!HISASHIの写真がこんなに詰まっている〜!!好きぃぃぃ♡♡♡)

 

もう今世紀最大の大興奮である。

 

色んなシチュエーションとバリエーションのHISASHIがたっぷり堪能出来て、ますます好きになった私氏。

 

その影響もあって、翌日、私は急遽エレキギター仲間を学校で募った。

 

運が良いことに二人も集まったのだが、その二人もHISASHI好きだということが判明し発狂。うちら三人は意気投合し、放課後、自宅に集まり毎日のようにエレキギターの練習をした。

 

が、どんなにやっても一向に上達しないうちら。次第にその関係は解けていくこととなる。

 

ある日、ドラッグストアをぶらぶらしていると、最高に最強な商品を見つけてしまう。

 

それは、スプレータイプの髪染め。

しかもブルーもある!!

直後テンションがおかしくなり、金欠だったが何とか購入に至る。

 

その翌日、母がデパートに買い物に出掛けるというので私もついていくことにしたが、昨日買った髪染めを試す時が来たぞ!!

 

んで、洗面所の鏡を見ながら真っ黒ショートボブに吹きかける。

 

真っ青に染まった私の髪・・・これは・・・!?ひ、HISASHI!?(勘違い)

 

だがそれを見た母が「何その髪!?やめてやめて!?落とさないなら連れてかないよ!!」と大激怒。

 

それは無理もない気がする(今なら)。

 

結局、洗面所で髪を濡らして落としたが、時間がかかり、母は痺れを切らし私を置いて行ってしまった。

 

まあ泣いたよね。

 

その数日後、私はまたもHISASHIに近づける物を発見した。

黒のロングコートである。

 

7千円かぁ・・・迷いに迷い購入するが、着てみると裾が床擦れ擦れ。

どうしようもなく見た目が悪く、何だか少し損した気分になったが、どんどん私はHISASHI(もどき)になっていくので、どんどん感覚が麻痺していっていた。

 

そんな私は遂に原宿までHISASHIになる為のグッズを買いに行った。

あのエレキギター練習仲間二人を連れて。

 

当然あの二人はHISASHIになりたい訳ではないので、私の買い物に付き合わされているだけだ。

 

朝から夕方まで、あちこち色んな店を回ったが、手に入れたのはHISASHIが本か何かでつけていたお洒落ゴーグルのみである。

 

私はもっと色々手に入ると期待して行ったのに、この収穫の無さに驚愕。

 

ちょっと原宿を甘く見ていたようだ。

 

結局二人を丸一日連れ回しただけみたいになって、二人からは反感を買うこととなった。

 

だがこの時の私は 友達<HISASHI なので、友達を失うことになっても、あっけらかんとしていた(サイテー)。

 

その友達二人とは実は渋谷にも一緒に行っていて、何しに行ったかと言えば、HISASHIがコラム本で使っていた車のラジコンを探しにだ。

 

それも結局、丸一日連れ回した割には見つからず、今思えばあの二人はよくこんな変人の買い物に2回も付き合ってくれたよなぁと、感謝の念しかない。

 

GLAYのCDも全部買ってたし、HISASHIがDJを務めるラジオも毎週カセットテープに録音して、何度も聞き直していた。

 

なのに私は一向にHISASHIになれない。

 

そもそも人間の出来が全く違うので、なれる訳が無いのだ。

おこがましいにも程がある。

 

その内HISASHI熱は冷めていき、気づけばジュディマリYUKIになろうとしている次世代の自分が居た。

 

ええ加減にせい!!!!!

誕生日に便器を戴いた話

 

 

⚠️ この記事はちょっと汚い話ですので、食事中の方や汚い話が苦手な方はご注意ください。

 

 

 

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昨年の私の誕生日会も、毎年のように自宅で慎ましく開かれた。

 

もう三十路も過ぎ、誕生日など祝ってもらわなくても・・・

そんなことを思っても、周りが祝い事にポジティブなのでそうもいかない。

 

それに、美味しいケーキやご馳走を食べたり、みんなでワイワイするのは嫌いじゃない。

 

プレゼントも貰えるし、何も邪険にするようなことではない。

みんなの気持ちも嬉しかったりする。

 

そんな誕生日に、今年は驚く物を戴いて困惑している。

 

タイトルにもある通り、そう、便器

 

 

ただの便器ではない。

 

『便器のカタチのカレー皿』だ。

 

 

その皿にご飯とカレーを盛れば、あっという間にう◯ことまごうことなきカレーライスの出来上がりである(しかも下痢)。

 

友人の手によってオマケにつけられた辛口のレトルトカレーから「早くこの皿で僕を食べて」と急かされているように思える。

 

ちなみに和式便器型である。

 

なぜこんな事態になったのか訊くと、友人曰く「え?ゆう子さんう◯こ好きでしょ?」。

 

 

は?

 

 

日々面白い事を追求している私は、何故だかう◯こネタにもろ弱かった。う◯こネタが出る度爆笑してしまう私。幼稚園児なのだろうか?

 

そしていつの間にか私が物凄いう◯こ好きだというデマが流れていたらしく、その友人は鵜呑みにして誕生日プレゼントを便器皿に決めたらしい。

 

いやいやいや、何それ!!

私そんな過激な性癖は持ち合わせておりませんよ!!!

 

大体『誕生日』という神聖な行事の時に「お誕生日おめでとう!う◯こみたいなカレー食って良い誕生日を過ごしてね!」っていう神経もどうかしてる。

 

これは異常事態じゃないか?

毎度う◯こネタで笑ってしまう私も異常、誕生日に便器皿くれる友人も異常、それを見てさも面白そうに笑う周りの奴らも異常。

 

まあ便器皿を貰った時はかなり素直に笑ったが。

 

 

便器皿は、未だ部屋の隅で箱に入ったまま、いつか私にう◯こに見立てたカレーライスを食わそうと、良き機会を伺っている。

 

サンアート おもしろ食器 「 便器のカタチ 」 和式 カレー皿 白 SAN1972

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